(パリ=飛田正夫 /日本時15/08/2018 19:57)ヨーロッパ諸国の難民受け入れに対する考え方が二分されている。普遍的なヒューマニズムに基づく人権擁護の立場と自国のナショナリズム的エゴの人種差別勢力に支配された政治家や政党との間で大きく揺れ分断化されてきている。人命救助船アクアリュウスAquarius号をリビア沿岸から最短距離にあるイタリアもマルタも受け入れを拒否していたが、14日午後にマルタがアクアリュウスAquarius号の接岸だけに限って許可すると宣言した。その後イタリアやポーランド、ハンガリーなどは受け入れ分担を拒否しているが、ルクセンブルグやマルタ、フランス、ドイツ、スペイン、ポルトガルなどが141人を分担して受け入れることになった。フランスは60人程を受け入れることが決まった。8月13日、地中海難民救助のSOS Méditerranéeのソフィ・ボー会長は行き場を失っている141人のアフリカ難民を乗せたアクアリュウスの受け入れを全ヨーロッパに対し、難民受け入れ港の提供を呼び掛けていた。船には婦人や子供が多く病人もいて、医療的な手当てが施されないという人権が侵されていると船長も訴えていた。
7月初めには、ドイツの難民受け入れ問題で連立内閣を形成するメルケルのキリスト教民主同盟と副首相でドイツ南部バイエルンの保守党キリスト教社会同盟の党首ホルスト・シェーフォハー(Horst Seehofer)が対立。シェーフォハーからメルケルは難民受け入れ政策が甘い、次の選挙では協力しないと厳しく批判され脅かされていた。その為に7月2日、メルケルはシェーフォハーに譲歩を示し、オーストリア国境からの違法難民を拒否する方法で明快な合意をした。たとえ難民が受け入れ要求をしてもまた難民がドイツ国内に入ってきても、直接に難民移送センターに送り込んで、ドイツ国内には居させずにやってきた欧州の元の受け入れ国に送り返すというものだった。
メルケルのキリスト教的人道主義の西欧のヒューマニズムが実に虚弱なものであったかが露呈された事件であったが、これには大きな反発が一方でありメルケルは両者の狭間で迷って揺れ動いているようだ。
これはメルケルのせいではなくてキリスト教の博愛にはマリアがベッテルハイムの難を逃れるのに愛する一子だけを庇護して、他の子供達の皆殺しの大虐殺を省みなかったことと同じ情景が地中海で繰り広げられているからである。難民達は今この限界と矛盾があるヨーロッパのキリスト教的博愛の恩恵を、自分だけは得られるのだと我先を争って地中海を渡ろうとしている。ヨーロッパのキリスト教的人道主義では、人権というのが選ばれた者にしか存在しないことが明快になりつつあるようだ。この選ばれるということは何かといえばそれは金銭のことだ。マルタでは大金を政府に払えばこの国のパスポートが貰えることになっている。
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