マクロンはビィラクブレー飛行場に彼らを迎えたが一言も公式な話をしなかった。代わりにイブ・ドリヤン元防衛相とフローランス・パルリー(Florence Parly)防衛相が話しアルカイダ系とイスラム国聖戦主義者が横行する地域だと強調している。このニュースで11日の第26回目を迎えた黄色いチョッキ運動デモはフランス全国で繰り広げられたが報道時間が少なくなってしまっている。ジャン・イブ・ドリアン(Jean-Yves Le Drian)外務大臣はビラクブレー飛行場に彼ら3人を迎えた場で、旅行業者はこういった外務省の指定ある危険地域への旅行を薦めるべきではないと悲しみの中で話している。確かにこの思慮に欠ける2人のフランス人の旅行者が災いしてか、仏兵2人の死が起こったこととはいえ、仏軍隊介入の決定時期の問題も含めチャンスの無い失敗だったと後悔される。それは例え軍人でも人間の生命は尊厳されねばならないからだ。
人質の内の2人の仏人は教員の旅行者でパトリック・ピッケ(Patrick Picque)氏とローラン・ラシムイラス( Laurent Lassimouillas)氏でバカンスでベニン(Bénin)北部のペンジャリ国立公園滞在中の5月1日から行方不明になっていたもの。他の2人は韓国人の女性とアメリカ人が助かっている。この2人は仏軍の捕虜解放の予定には当初は無かったもので情報が全くなかったという。
仏人旅行者2人はペンジャリ国立公園にベニン人ガイドのフィアクル・グベジィ(Fiacre Gbedji)氏と共に5月1日に訪問し、19時過ぎには帰ることになっていたが、死体が4日になってペンジャリ国立公園で発見された。彼らが乗っていた車はブルキナ・ファッソの国境側で見つかった。二人のフランス人が失踪した場所はテロリストが横行しているとして仏外務省が誘拐される恐れのある地帯だと危険視していたという。
解放された外国人女性2人に関しては殆んど何もわかってない。米国人女性は現地で米国が引き取った。韓国人の女性に関しては旅行者なのかどうかも報道されていない。
(キーワード 軍人2人死亡 ,人質解放,ブルキナファソ,旅行者,マクロン,)最終編集 16:08:00
【参考記事】
https://www.francetvinfo.fr/monde/afrique/benin/ce-que-l-on-sait-de-la-liberation-de-deux-otages-francais-au-burkina-faso_3437245.html
https://www.francetvinfo.fr/monde/afrique/otages-francais-liberes-au-burkina-faso/otages-francais-liberes-au-burkina-faso-le-commandant-des-operations-speciales-defend-une-prise-de-risque-assumee_3439711.html
https://www.dna.fr/actualite/2019/05/11/militaires-tues-au-burkina-faso-des-risques-majeurs-pris-par-les-otages
https://www.ouest-france.fr/monde/burkina-faso/burkina-faso-tant-que-des-francais-seront-menaces-nous-irons-les-chercher-6346193
https://www.europe1.fr/societe/burkina-faso-la-mere-darnaud-beltrame-juge-le-comportement-des-otages-tres-egoiste-389806
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